夢の記録

水を飲み過ぎた さかなのような

拘束とか苦痛とか

頭の自由を奪われるのが嫌いかもしれない。


意識を落とすのは比較的得意なほうなので、だいたい全ての嫌なことは眠っていれば過ぎ去る。目を閉じて、耳を塞いで、楽しい夢のことを考える。痛みなら嬉しい痛みを、見たくないものには美しい情景を。大体その二つをコントロールすれば、この世に怖いものなんてない。


惑星ザムザのソラリスの展示が結構怖かった。あまり意味のなさそうな頭の拘束をされた状態でヴィデオを鑑賞させられる数分。すごく長く感じたし、必要以上の疲弊を感じた。

以前も、他人から与えられた頭への刺激に、それだけ物凄く尊厳を傷つけられたことがある。わたしの頭皮の感覚ってどこにあるんだろう。触られることがうれしいパーソナルな人間たちにさえ、拒絶の聖域なのか。そんなに大層なものか?


わたしは結構人嫌いだから、苦手な人だと半径3mくらいのフィールドが全部もやもやした恐怖のクッションになって、普通に逃げ出してしまうけど、そうじゃない人でもダメになりやすいのが頭だな、と改めて思った。


でもMRIはスヤスヤ眠れるし、歯医者のレントゲンとておもしろの方が勝つ。これは非日常のワクワクとやっぱりデカい音が鳴ってるからだろうか。うーん。線引きが難しい。

20220414

風呂とトイレが共用のような、広いスペースがあって、でも水が澱んでいる。

知らない男の人たちが来たから慌てて個室に隠れたけど、最後の最後まで水の中に死体があるのに気づかなくてイライラした。

全ての水の中に死体があった。洗面所も、全ての浴槽にも。だから顔を洗えないとやきもきしながら外へ出た。


その場所に行ったのは同人誌が原因だった。

すごく美しい写実的な絵なのに不条理でグロい作品が多く載っていた気がする。


荒木勲、みたいな名前の人の展示と荒木柚香みたいな名前の人の展示がやっていて、片方は荒地のアレロパシーみたいな展示内容だ。地下に空間が広がっている。広さとしたら庭園美術館の新館ホールAくらいだろうか。マネキンを多く使用した現代アート…。エレベーターをあり、入り口で待っていたが、待ち人は全然来ないのだった。


DMで知らない人(ファンの人?)のグループに追加されていて、おじさんたちのよくわからない戯言に付き合わされて不快になる。あまり私の作品も活動もみてないだろ君たち。あー。大衆にどうこう思いたくないなぁ。


電車に乗った。

メモ帳より抜粋 夢ではない

 

 

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Twitterに短い思考の断片を吐き出すのがバカらしくなってきた。己のポップを貫けよ。今月号のSWITCHが米津玄師『POP SONG』特集で、Hyperpop論考を読み漁ったあとの頭にジンとくるほどこの人も逆説的だ。ウン。

 

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ポップ・アナリストであるべきメジャーシーンに居ながらにして先鋭的な新作を繰り出す人々を、音楽好きの方々は意気揚々といつも批判したり一様に褒めてみせる。それってちょっとダッセーかも、と言わないようにして頑張って界隈とやらに馴染んで話を聞けないかな、とずっと思ってきた。そんなのマジでくだらないのに。でも人がいないと何も起こせない。イベントも打てない。結局のところ金だけでもアイデアだけでもダメで、人望がある程度はいるってこれまでの人生で思い知ってきたつもりだった。

 

Twitterではいつも毒づいて戦争しようとしてしまう。あなたが嫌うのがおかしいのよ。私を正しく認識して。わたしを離さないで。低俗な言語で話さないで。辛さを反復してどうするのか。memeと数字に流されない強さが必要だった。熱狂でも、踊らされている人形でもなく、ただひたすらに自分を形成する作業が。その強度が試されてると思う。

 

エッセイのように自伝を語るなら、きっとわたしは十数年といいリスナーであり、音楽の解像度は神様というだけでよかった。外の騒音を塞ぐものなら何でもよくて、でも美しくあってほしかっただけ。わたしを傷つけるあの子と同じではだめ。カーストの生じる音楽はダメ。そう思って生きてきた。

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必然的に、先鋭的な音楽やグリッチ、ノイズ、そして当時まだユーザーの少なかったネット発の新興レーベルへと矛先が向かう。

 

この文章誰のために書いてるんだろう。わたしだ。私のためなら別にまとまりがなくても良いか。

 

家に帰らずに本屋に来てる。何かにならなきゃいけないと思っていた。今とずっとそうかも。あんまり興味のないコンカフェのバイト面接を受け、我の強さと声の小ささに辟易する。わたしは根本的に面接が苦手だ。パフォーマンスに一貫性を持たせるのが苦手だ。わたしは全てでわたしなのだ、と言ってしまいたいが、それを言うにはひどく時間がかかる。わたしはなんなんだろうな。

 

Hyperpopが嫌いだった。頭痛いし。いつから好きになったかは覚えてない。でも気づいたらちょっとよくなってた。

 

もしかしたら〜離くんのライブに行った日かもしれなかった。上京したての彼のライブで、出番前に知らない女の子と3人で話していると、とてつもなく好きな音楽が流れてきて、Shazamを取り出しかけた。「あ、SOPHIEだ」1年近く合作の編曲返してなくてすみません、と言ったあとに、彼が小さく呟いた。

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SOPHIEも、Komonzoも、100gecsも、最初はあんまりすきじゃなかった。最初から好きだったのはDorian Electraだけ。それもビジュアルかもしれない。あまりにも現金に、あまりにも直情的に僕は文脈に惹かれる。美しいものが嫌い。わたしを酷く傷つけるから。欠損した人が好き。わたしが愛でることができるから。あまりにも残酷で劣悪な欲望。ぼくは醜い。わたしだけではないけど。

 

ポップソングが作りたかった。大衆のためではない、クラスでたった1人イヤホンを握りしめて震えてる女の子とかに、届けばよかった。それは過去の自分で、そんな人は実際にはいないのかもしれないのだけれど。当たり前に全てが孤独で、当たり前にわたしの普通は普通じゃない。みんな頑張ってコミュニケーションを全うしてるのだった。ある人には情に厚いと言われ、ある人には人の心がないと言われた。grotesqueなものと下品なものをシニカルに眺めるのが好きだ。心が泣いてる時、残虐さはある種の安心をもたらす。死にたさは定期的にフッと消えるが、でも分かり合えないと言うのは変わらないのだった。

 

誰かを救いたいと思っている。

そして私のような人間は、救った相手に固執し、いずれ腐らすのだということも、わかっている。

 

愛することがわからない。いつも愛を持って好きを伝えると酷い目にばかりあうから、私は常に嘘を言うことにした。好きじゃない。好きじゃない。あれもこれも大嫌い。酷い目に遭ってしまえばいい。わたしを好きな人も、わたしの好きな人も傷つけて、傷つける人のことを愛しいと思って、わたしは全てがよくわからなくなっている。

 

そうしていくうちに沢山の人に出会って、逃げていた人には「自分が怖いのか」と問われ、崇めている人が優しかったりやはり偉大だったりして、結局のところ、一人だ。

 

SNS上では顕著だと思うのですが、今は多くの人がそれぞれの正しさを盾にして、時に残酷なまでに人を傷つけることがあるじゃないですか。そういう状況を目の当たりにしてると『どうかしているな』と思うし、その果てには世の中でまともなのは自分だけなんじゃないか、とさえ思ってしまう。でも同時に実は一番おかしいのは自分なんじゃないかと考えてしまうこともあって。そうして堂々巡りをしていても、結局は自分が生まれて三十年生きてきた中で培った自分なりの思想、哲学、倫理観を頼りにこれからも生きていかなくてはいけないし、それらが歪んでいるかどうかは他人も自分自身も判断することはできなくて……。上手く説明できないんですが、そう言うことに対して何か言いたいわけではなく、その構造自体を音楽で表現することに意味があるんじゃないかと思ったんです

ー米津玄師,SWITCH 20223月号

 

そうだねーそうなんだよ。あなたは実に学者的だ。サイコー!世の中には提示される前に棄てられることがいっぱいある。私の家族もそうだ。無駄なことはやりたくない。「それって何かの役に立つの?」「定義したとて結局何になるの?」何になるかはやってみなきゃわからないだろうが。私ってずっとこうだ。無駄なことがすきで、だからこそ金にならない10年代初期のインターネットが良かったのかもしれない。やってみなきゃ判らないじゃないかと、いつも思いながら自分を少し不幸にしてみる。安心する暗闇が横たわっている。ねんねんころり

 

わたしってなんなんだ?て考える程度にはわたしのこと好きじゃん、というか好きになるしかないんですよ。この身体を操縦して過ごしてるんだから。メタバースに希望を抱いて飛び込んではみたものの、結局その中で金や地位によるカーストが生まれて閉鎖的になってるし、仲良い友達みんな金なくてやってくれないし。やっててもフル環境じゃなかったりする。あーあ。こんなことのためにお金稼いだんじゃなかったのに。衣服も結構もうどうでもいい。昨日の帰り道に友達が「ハイブランドって行き着くとこまでいくと大喜利みたいじゃない?」ていうから、「そうだよ大喜利だよ!オートクチュール大喜利!」と表参道の土地にだいぶ不謹慎な大声で返した。マルジェラのトルソー生地のワンピとかどう考えてもギャグだろ。でもそこが好きなのだった。提示されることに意味がある。本で読んだ現代音楽美術もそうかの話みたいだと思った。俺がいちばーん!

 

でも出すタイミングもあるよね。草間彌生とかNY時代のデュシャン(だっけ?)にアイデアパクられたってキレてたもんね。わたしは彌生さんとドイツのゼロ周辺すきだから草間の意見を信じてる。

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またちょっとユリイカを開き直した。caro♡のインタビュー載ってたの全然知らんかった。無邪気でかわいいね。この前のAVYSSの話もう載っててビビったし(言うて2月か…)、カキさん褒められてて謎に嬉しかった。展示見に行った時《PC Music》の人がたまたま来日してたから呼べたんだよーとか、セールスがまあまあ大変とか裏話を色々聞いていたから、余計になんかグッときたんだと思う。

 

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なんか色々総合して今のわたしにはTwitterがいらない気がする。他人の価値を測り、無理してエンターテイナーを演じてしまうから。某トラックメイカーとDMで口論になったのもある日常ツイートにキレられたからだし。(まあ秒で和解したし、私は彼の作品が本当に大好きなのでこの前会った時健全に会話できて良かった。うん。好きすぎてライブ前にこっそり楽曲のコピーを繰り返していた。直後に聴くライブアレンジは本当に壮観だった)僕ってそんなに人付き合い好きじゃないのかもしれない。というか、他人の悪意に敏感。酒が嫌い。煙草も嫌い。クラブも嫌いだった。ここでいう嫌いを全部やった自分は、堕落してる言い訳がつくから好き。そんな具合なのだろう。嫌なことをやるのが仕事だと教わったから、その通りに嫌な方向に進む。そうすると怒られて、わたしはアレーと思う。転職活動を進めるうちに嫌なことをしても全員が不幸だ、と言われ、結構戸惑った。

 

わたしが好きなことが何の利益になると言うのだろうか。たしかに好きに仕事をしていた時は幸福だった。そう言えるのは出版社にいた時だけだと思うけど。先輩が酷くネガキャンをして仕方なしに紹介されたわたしだったが、何故かめちゃくちゃに可愛がられるのは実直なわたしばかりなのだった。今とあまり変わらないんだけどね。それ以外の場所は、ずっと耐えていたような気がする。わたし以上に優遇される誰かを見ながら、どう振る舞えばいいのかわからなくてヤキモキする。行動しては怒られ、潰され、余計なことをするなと言われる中で、唯一の反抗が企画書を出したことだった。パソコン音楽クラブとCASIOトルコ温泉が見たかったから交通費支給のスタッフをやることにしたし、企画書が行けると思ったのはわたしが愛する音楽がこのままリリースされず消えていくことへの不満と、当時『アイフォーン・シックス・プラス』を出したばかりの長谷川白紙への信頼だった。面識もなんもなかったし、メールの態度とか終始イラついてたけど、この人の作る音楽を組み込むことと、わたしの好きなどうしても出したい曲を世に出すというエゴ。わたしはそれだけのために頑張ってた。のちに私をだいぶ揺るがす転機をもたらすのが、パソコンの柴田さんとこの時マジで苦手だった長谷川くんなので、人生は何が起こるか本当にわからない。わかったもんじゃないな。

 

そしてそれは、拙いものだけど、ちゃんと叶ってくれた。わたしの抵抗はその時だけ成功して、『エアにに』がクソヒットした時に当時のわたしの上司に2度も企画ボツにしたこと謝られました。長谷川のライブ会場で。あっ君島さんとかも出てたかなとりあえず彼がトリだった時に。まあわたしもこんなに跳ねるとは思ってなかったんですけどね。若干嫌いだったし。いまでは冗談で「ガキがよ」とか言ってるし、人生はわかりません。これさっきも言ったな。言いましたね。

 

それこそ人と親しくなる前、わたしがノリだけでポーンとあげた曲がなんか所属してない (←ここポイント) 大学のオーディションで軽音の先輩たちのgood music差し置いてファイナリストになり、ライブするはめになり、なんか元ソニーのプロデューサーついちゃってほええ!!!レコチョクと契約書結んでほええ!!!みたいになった辺りのわたしは下積みも何も無いのにホント頑張ってた。小学生に大学のミスコン出ろと言ってるようなもんですよほんとに。結局コロナで色々有耶無耶になって、だいぶ迷走したり、来るものをこなしたりして今に至るけど、わたしは変にヒットなどしなくて良かったと今は思う。

 

音楽ジャンルに抵抗して生きてきて、いまは多少覚えたけどやっぱりよくわからない現在、わたしの輪郭は。

 

ポップスがやりたい、と叫んでいる。一人でいいかもしれない。ひっそりと作品を作ろう。誰のためでもないものを作ろう。それは仕事にならないかもしれないし、酷評されるかもしれないけど、わたしというリスナーが待っているのだった。わたしはずっと一人だ。今までも、これからも。先人たちの知恵は借りるもので、何かになんてならなくてよくて、誰かに認められたり、許される必要もない。それは死だ。ひっそりと生きよう。己のポップを、わたしを凌駕する熱烈な炎を、それを愛と呼ぶのではないか。

 

そしてそれは、とっくに私が気づいてるものなんじゃないかな。美しさでも市場価値でもなくて、わたしがそこに存在してたからなんだってことに。

20220409

池袋で20:30まで予定があるのに20:00からの銀座の演劇に行けないか画策している。
どう見ても池袋ではない景色を急ぐと案の定20時は過ぎていた。そうだよなー。バス間に合わなくなっちゃう…。

 

待ち合わせしていた人と話をしている。
「これは旧作で、確かこの時長谷川白紙の『ギュっとして。』が映画完全の新曲としてリリースされたんだよね」
いや知らないんだが。知らないところで白紙が映画に出て新曲書き下ろしてるんだが。数年前に…。

 

『ギュっとして。』、なんかあの人なら「ぎゅっとして」と言いそうだが、というその曲はすごく静謐なピアノの弾き語りで、あまりどの曲でもないような青色だった。

演劇に行けなかったのになんか待ち合わせは演劇のような気がした。このあたりで目が覚める。きょうの夢は短い。

20220105

夢を見た。

ずっと現実だと思っていて、お手洗いに行こう!と思ったら、それが夢だった。


どこかの街で暮らしていて、もう色々なことを忘れてとぼとぼしていた。
ちなと会うと、自分は100均だかに行きたいからここでサヨナラだと言われた。

「江古田銀座しか行ったことないけど、きょうは知らない場所に行くから…」

少し寂しかったけど了承して自分は直進する。今日は年始だからかどこもセールをやっていて、ていうか築地みたいな薄暗さだった。魚屋さんや八百屋がセールをやっているが、話しかけられても緊張してメニューを見ることもできないのだった。とぼとぼと路地を歩くうちにいつの間にか赤暗い照明の下に着いている。ここは多摩六都科学館、ということらしかった。

 

科学館の入り口でわらわらとにぎわう人の中、ぼうっとオープニング展示を眺めていたら長谷川に会った。最初気づかなくて、「あ!」と話しかけられた後、ニコニコと微笑まれる。会えるなんて思ってなかった。最近よく見かけるけど、そっけないし…。

「多摩六都とかくるんだ」「まあ…それより、一緒に見ようよ」「え!いいよ」

赤いライトに照らされた表情をみてるとなんかほっとした。巨大なスクエア型のブラックホールとか(そんなもん展示していいのか死ぬぞ)、モビールが垂らされたよくわからん装置とか。適当にいろんなところをぐるぐる見ると、近くのうどん屋さんに連れていかれる。慣れた手つきで発券機にお金を入れる君。こんなとこ来てたんだ。家の近所なのに知らなかった。列に並び、わたしの番がくる。

全然1000円札が入らない。

「まってまってれんにゃ、60円だって」「60円!?!1杯でそんな安いわけ」「安いの。いいからこの詰まったの抜いて」

べそをかきながら取り出してなんとか見つけた小銭を投入する。心配した周りの人たちが各々でギターを対価にしたりいろいろしてくれてた。白紙はスタスタと真っ暗な階段をおりていってしまったのかもしれない。いつの間にか、いなかった。

階下はあんなに狭い(それこそ西新宿のらんぷの入り口のような)のに、中はだだっ広い空間になっていて、青を基調にしたカフェのようだった。深海という言葉が適切か。店員さんに案内されて広すぎる席に座る。照明…そうだな、この既視感は京都のソワレだ。ソワレを2000倍くらいにした空間だ。適当に注文してナポリタンを食べたりした。うどんじゃなかったのかよ。

 

気付けば整形外科の中にいた。

タダでラウンジというか施設を使い放題というのに惹かれて整形外科に無料会員登録し、空間に入り浸っている。トイレに行ったら掃除中で、でもきちんと「掃除前」「掃除したて」「まだ」などの張り紙が区画ごとに細かく貼られてるのでびっくりした。

掃除担当の人たち(おばさんが多かった気がするが、小さい子もいたような)がゴシゴシとモップをかけたあとを、真っピンクの赤ちゃん?幼児?が必死に雑巾がけしている。黒人の子だろうか。動きが遅いと何度か叩かれて可哀そうだった。途中院長先生が来て、ああこの人CMで見たぞと妙な気持ちになるのもつかの間、ピンクの子たちを指さして、こんなものはもっと雑に扱えという。院長先生は自分の家の猫を四角い型にはめて育てたことを自慢げに話した。目の前にその猫がいるけど、かわいそうに、耳とシッポがくっついてしまっている。それとも望んだっていうのだろうか。わたしには目もくれず、院長先生はスタスタと帰っていった。若干ホドロフスキー的な世界観と思う。

トイレを出てぼーっと立っていると、人がどんどん通り過ぎる。しかし、わたしの顔をみた3人組のマジで知らない人が立ち止まるのだった。「れんちゃん?やっぱりそうよね?」そうですが。「えーそんな、(整形とか)する必要ないでしょ」と言いつつもどこかうれしそうだ。うちの母親みたいだと思った。奇麗な人の努力を認める前に、整形だ、金があるからだと一蹴する。わたしはそれはすこし不幸だと思った。「鼻がいやなんです」「鼻????鼻なんて一番失敗率の高い…」「あと目元とか…」何を答えたかはよく覚えていない。

そのうちお医者さんみたいな人とも会って、話しかけられたからコンプレックスを正直に話した。でもお金がないんですというと、「あなたのような人のためのプランがあるんですよ」と、1回単位37000円のコースを説明してくれた。ふーん。ぼんやりと説明を聞いていたら、右側にあるでかいモニターが目に留まる。CMで白紙の曲が流れ始めた。

これ知ってる、毒のアレンジバージョンだ。


カニエ・ウェストのGraduationみたいな映像に合わせてCMが進み、ふいに白紙のつくった音が混ざりこんでくる。これ作るの大変そうだったな。新曲のAs know you are here…ゴリゴリのプログレでびびったやつだ。知らない場所でどぎまぎするのに、白紙の音楽が流れてたことがなんだか実家のような安心感だった。パチリ。

20211101

記憶が都度刷新されるのでより多くの言葉を残している。
夢の記録というより日記帳にした方がいいのかもしれない。一応絵日記は3年くらいつけてるけど。

全部が感性のPhaseに行くべきだと思っていて、私はちょっと臆病で、スケッチを残しながら息苦しい雨を見ている。静止。映画を観た。最近は眼精疲労が酷くて、この前病院に行ったら可も不可もないような回答を貰った。最近の通院はすべて全部延命治療のようなぼんやりとしたものに感じる。たまに効くこともあるけど。「天才馬鹿」。松永天馬監督作品は全部劇場で観ているが、オマージュがいくつか存在したことを本作を観て悟る。最近話す人にアーバンギャルドの古いファンの方がちらほらいる気がする。おそらく丸くなってからしか現実として知らないので、昔を知りたかったというコレクター欲と、この時代に恋を知らなくて本当によかったという感情がひとつ。同監督の鳥肌実作品も観たいと思った。

友達と電話した。言葉はいつだって空虚で記憶もないけど、他者に共通点を見つけると安堵したような気持になる。成人してからの日々はいつだって わたしという肉体への違和感 をなんとか解消していく作業だった。許すことが沢山あり、泣くことが日常茶飯事だが、インターネットを彷徨うと精神科しか誘導されないことにも違和感を感じる。インターネットがつまらなくなったというのは簡単でしょう。いまのネットもネットで嫌いではない、好きでもないけど。

 

先生にiPhoneでいいから映画を撮れと言われた。確かに記録によればその段階かもしれない。計劃3。自分の顔を鏡で見ながら、imaiさんが「ADはストレスのない生活を送ってるから本当に肌がつやつやなんですよ」と言っていたことを思い出す。私の肌はどうだろうか。ビタミンC、堆積。脱毛の予約をしなければ。

早稲田祭で歌うことになったので少し禁煙しています。知識として色々なフレーバーをお菓子感覚で購入していたのですが、煙がないとこんなに呼吸が楽なのかと感動した。一種の自傷行為としては好きなのだけど。今月出すための作品制作をしていて、ちょっと考え方が変わった。私はずっと死にたくて、でもこれを伝えなければ死にきれないという主題を作品にすることだけが救いだったのだが、直情的なアウトプットよりもより練られた何かの方が健康(?)かもと思い始めたり。どちらでも生ではあるし。ていうか健康であることは関係ないのですが。洗練に別に興味がなくて、できることの方が大事だったのですが、過程としてダイアモンドをひたすらに磨き続けるような地味さがあってもいいのかなとか思い始めたのでした。ていうか私や家族がずっとポテンシャルを否定してきただけで、適性に無自覚で自傷することもイデアを信じないのも違うなあと。ここまで至れたのは多くの友人の協力あってですが…。結局生きてて快楽を得る手段なんて最初から直感してるそれしかないのよ。絵を描いていたら少し泣けてきた。他人が本当に苦手なのに、こんなにも人間を愛している気がしてくる。ふう。これは詭弁だな。2か月ぶりに体重を測った。友達が私が痩せたと心配してたけど本当に6キロほどなくなっていて笑えた。そんなことあるんだ。運動してないのに……

そういえば今朝は地震で目覚めました。最近は地震が多い気がする。東京、大丈夫かな~

20211027(夢ではない)

神経というものは不思議で、いつも死にたくなったり生きたくなったり収縮する。たとえば死に近づくと普通抱くのは恍惚感ではなく恐怖や生への渇望で、ただ朦朧とした不安感とて生きたいという願いとて曖昧なことには変わりないのだ。

意図せず誰かの支えになることが多いかもしれない。「あの時れんちゃんがいて本当によかった」と言われるたびに、少しきょとんとするが、私が誰かに救われている時、それを聞いた人々も同じ気持ちなのだろう。

私の似顔絵はいつも対象をつぶさに観察しているらしい。
愛とは興味だ。そして技術とは嘘だ。
人とお話しするのが大好きで、そのせいか無用なレイヤーが沢山見える。
被害妄想のレイヤー。今日もすこしだけ人が怖い。

 

大好きな友人やアーティストが最近続々と音楽をリリースするので嬉しい。
この週末は最たるものだった。そしてそれらを正しく咀嚼できた日々の連続であった。予定を詰めるのは私が正気でいるために必要な作業なのだが、〆切の量が限界を超えると布団から動けなくなると知らなかった。運動不足かもしれない。甘めの煙草とおにぎりを頬張れば食欲が消え失せて、音の鳴る箱で酒を煽るような不健康な週末を3セット。

盟友と言っても差し支えない、大好きな友達が昨日「作曲は好きだけど、はじめてライブの良さがわかった」と泣いていて、私もそれに負けない勢いで号泣していたのでなんかもうぐちゃぐちゃだった。友達の演奏を観に行くときはいつも気恥ずかしくて人の後ろに隠れないとステージを観れない。それはわたしが個々の友人たちに並々ならぬ愛着と崇拝を持っていて、でもそれを言葉で表現するのはお互いのためによくないから(作品にすべきかと)、いつも心の奥にしまっているせいでもあるだろう。わたしをみないで。でもいい音楽はそんな障壁をぶっ飛ばしてくる。

土曜のライブでもそうだった。うっかり最前列で観たのは少し気恥ずかしかったけど、はじめて見る見慣れた表情の機微に、私はずっと友人の顔をちゃんと見てこなかったのかもしれないと思った。スマートフォンの画面越し、薄暗い照明の下。臆病なわたしが気丈に振舞えるのはいつも守られた壁があるからだ。ATフィールド。お洋服、メイク、言葉。客観性の命綱。

音楽はすごい。そして友達もほんとうにすごい。尊敬しているし、大好きだ。でも私がこうやって思うすべてを感想として言葉にすることは、誰に対してもあまりに個人的になりすぎてしまう。ぼくはそれらをすべて声に出してまで誰かに聞いてほしいとは思わないし、それは個々(わたしでさえも)プライベートな話題にならざるを得ないから。誰も知らないわたしの記憶と現実の話と、いろいろな感情、夢、渦を巻いて成立している曖昧な関係や奇跡の数々。それらを上手くつないで救える(掬える)のが音楽だろうと思った。


わたしは人格に嘘をつくことで許してもらおうと思い続けてきた。エンターテイメントとしては大正解だし、演じる次元に飛ばすのも多少うまいとは思う。

でももしかしたら怯えてドギマギするのは棘の人間たちばかり見ているからで、私の好きな友達たちは案外、最初から、私の知らない私のことをじっと見て、守ろうとしてきてくれたのかもしれないな。最近は楽器に触るのも、制作するのもすこし怖くて不安で、人の顔色ばかり伺いながら絵すら嫌いになりかけていたけれど(構造的な問題もある)、死にたくないって思えたり、友達が死んだら本当に心の底から嫌だと、家族と同じレベルで涙がこぼれてしまうことを知ったりして、制作も生活も実は地続きにあるもので、どちらかを棄てなければいけないものじゃないのだと今更悟った。

 

この世の邪悪さはある。普通の社会にも、それ以外にも。でもそれだけを見てはいけない。零という名前に自ら込めた最悪な呪いを、ちゃんと見つめて、なくしてくれた人たちの名前を、これからも忘れたくはない

 

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