夢の記録

水を飲み過ぎた さかなのような

メモ帳より抜粋 夢ではない

 

 

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Twitterに短い思考の断片を吐き出すのがバカらしくなってきた。己のポップを貫けよ。今月号のSWITCHが米津玄師『POP SONG』特集で、Hyperpop論考を読み漁ったあとの頭にジンとくるほどこの人も逆説的だ。ウン。

 

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ポップ・アナリストであるべきメジャーシーンに居ながらにして先鋭的な新作を繰り出す人々を、音楽好きの方々は意気揚々といつも批判したり一様に褒めてみせる。それってちょっとダッセーかも、と言わないようにして頑張って界隈とやらに馴染んで話を聞けないかな、とずっと思ってきた。そんなのマジでくだらないのに。でも人がいないと何も起こせない。イベントも打てない。結局のところ金だけでもアイデアだけでもダメで、人望がある程度はいるってこれまでの人生で思い知ってきたつもりだった。

 

Twitterではいつも毒づいて戦争しようとしてしまう。あなたが嫌うのがおかしいのよ。私を正しく認識して。わたしを離さないで。低俗な言語で話さないで。辛さを反復してどうするのか。memeと数字に流されない強さが必要だった。熱狂でも、踊らされている人形でもなく、ただひたすらに自分を形成する作業が。その強度が試されてると思う。

 

エッセイのように自伝を語るなら、きっとわたしは十数年といいリスナーであり、音楽の解像度は神様というだけでよかった。外の騒音を塞ぐものなら何でもよくて、でも美しくあってほしかっただけ。わたしを傷つけるあの子と同じではだめ。カーストの生じる音楽はダメ。そう思って生きてきた。

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必然的に、先鋭的な音楽やグリッチ、ノイズ、そして当時まだユーザーの少なかったネット発の新興レーベルへと矛先が向かう。

 

この文章誰のために書いてるんだろう。わたしだ。私のためなら別にまとまりがなくても良いか。

 

家に帰らずに本屋に来てる。何かにならなきゃいけないと思っていた。今とずっとそうかも。あんまり興味のないコンカフェのバイト面接を受け、我の強さと声の小ささに辟易する。わたしは根本的に面接が苦手だ。パフォーマンスに一貫性を持たせるのが苦手だ。わたしは全てでわたしなのだ、と言ってしまいたいが、それを言うにはひどく時間がかかる。わたしはなんなんだろうな。

 

Hyperpopが嫌いだった。頭痛いし。いつから好きになったかは覚えてない。でも気づいたらちょっとよくなってた。

 

もしかしたら〜離くんのライブに行った日かもしれなかった。上京したての彼のライブで、出番前に知らない女の子と3人で話していると、とてつもなく好きな音楽が流れてきて、Shazamを取り出しかけた。「あ、SOPHIEだ」1年近く合作の編曲返してなくてすみません、と言ったあとに、彼が小さく呟いた。

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SOPHIEも、Komonzoも、100gecsも、最初はあんまりすきじゃなかった。最初から好きだったのはDorian Electraだけ。それもビジュアルかもしれない。あまりにも現金に、あまりにも直情的に僕は文脈に惹かれる。美しいものが嫌い。わたしを酷く傷つけるから。欠損した人が好き。わたしが愛でることができるから。あまりにも残酷で劣悪な欲望。ぼくは醜い。わたしだけではないけど。

 

ポップソングが作りたかった。大衆のためではない、クラスでたった1人イヤホンを握りしめて震えてる女の子とかに、届けばよかった。それは過去の自分で、そんな人は実際にはいないのかもしれないのだけれど。当たり前に全てが孤独で、当たり前にわたしの普通は普通じゃない。みんな頑張ってコミュニケーションを全うしてるのだった。ある人には情に厚いと言われ、ある人には人の心がないと言われた。grotesqueなものと下品なものをシニカルに眺めるのが好きだ。心が泣いてる時、残虐さはある種の安心をもたらす。死にたさは定期的にフッと消えるが、でも分かり合えないと言うのは変わらないのだった。

 

誰かを救いたいと思っている。

そして私のような人間は、救った相手に固執し、いずれ腐らすのだということも、わかっている。

 

愛することがわからない。いつも愛を持って好きを伝えると酷い目にばかりあうから、私は常に嘘を言うことにした。好きじゃない。好きじゃない。あれもこれも大嫌い。酷い目に遭ってしまえばいい。わたしを好きな人も、わたしの好きな人も傷つけて、傷つける人のことを愛しいと思って、わたしは全てがよくわからなくなっている。

 

そうしていくうちに沢山の人に出会って、逃げていた人には「自分が怖いのか」と問われ、崇めている人が優しかったりやはり偉大だったりして、結局のところ、一人だ。

 

SNS上では顕著だと思うのですが、今は多くの人がそれぞれの正しさを盾にして、時に残酷なまでに人を傷つけることがあるじゃないですか。そういう状況を目の当たりにしてると『どうかしているな』と思うし、その果てには世の中でまともなのは自分だけなんじゃないか、とさえ思ってしまう。でも同時に実は一番おかしいのは自分なんじゃないかと考えてしまうこともあって。そうして堂々巡りをしていても、結局は自分が生まれて三十年生きてきた中で培った自分なりの思想、哲学、倫理観を頼りにこれからも生きていかなくてはいけないし、それらが歪んでいるかどうかは他人も自分自身も判断することはできなくて……。上手く説明できないんですが、そう言うことに対して何か言いたいわけではなく、その構造自体を音楽で表現することに意味があるんじゃないかと思ったんです

ー米津玄師,SWITCH 20223月号

 

そうだねーそうなんだよ。あなたは実に学者的だ。サイコー!世の中には提示される前に棄てられることがいっぱいある。私の家族もそうだ。無駄なことはやりたくない。「それって何かの役に立つの?」「定義したとて結局何になるの?」何になるかはやってみなきゃわからないだろうが。私ってずっとこうだ。無駄なことがすきで、だからこそ金にならない10年代初期のインターネットが良かったのかもしれない。やってみなきゃ判らないじゃないかと、いつも思いながら自分を少し不幸にしてみる。安心する暗闇が横たわっている。ねんねんころり

 

わたしってなんなんだ?て考える程度にはわたしのこと好きじゃん、というか好きになるしかないんですよ。この身体を操縦して過ごしてるんだから。メタバースに希望を抱いて飛び込んではみたものの、結局その中で金や地位によるカーストが生まれて閉鎖的になってるし、仲良い友達みんな金なくてやってくれないし。やっててもフル環境じゃなかったりする。あーあ。こんなことのためにお金稼いだんじゃなかったのに。衣服も結構もうどうでもいい。昨日の帰り道に友達が「ハイブランドって行き着くとこまでいくと大喜利みたいじゃない?」ていうから、「そうだよ大喜利だよ!オートクチュール大喜利!」と表参道の土地にだいぶ不謹慎な大声で返した。マルジェラのトルソー生地のワンピとかどう考えてもギャグだろ。でもそこが好きなのだった。提示されることに意味がある。本で読んだ現代音楽美術もそうかの話みたいだと思った。俺がいちばーん!

 

でも出すタイミングもあるよね。草間彌生とかNY時代のデュシャン(だっけ?)にアイデアパクられたってキレてたもんね。わたしは彌生さんとドイツのゼロ周辺すきだから草間の意見を信じてる。

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またちょっとユリイカを開き直した。caro♡のインタビュー載ってたの全然知らんかった。無邪気でかわいいね。この前のAVYSSの話もう載っててビビったし(言うて2月か…)、カキさん褒められてて謎に嬉しかった。展示見に行った時《PC Music》の人がたまたま来日してたから呼べたんだよーとか、セールスがまあまあ大変とか裏話を色々聞いていたから、余計になんかグッときたんだと思う。

 

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なんか色々総合して今のわたしにはTwitterがいらない気がする。他人の価値を測り、無理してエンターテイナーを演じてしまうから。某トラックメイカーとDMで口論になったのもある日常ツイートにキレられたからだし。(まあ秒で和解したし、私は彼の作品が本当に大好きなのでこの前会った時健全に会話できて良かった。うん。好きすぎてライブ前にこっそり楽曲のコピーを繰り返していた。直後に聴くライブアレンジは本当に壮観だった)僕ってそんなに人付き合い好きじゃないのかもしれない。というか、他人の悪意に敏感。酒が嫌い。煙草も嫌い。クラブも嫌いだった。ここでいう嫌いを全部やった自分は、堕落してる言い訳がつくから好き。そんな具合なのだろう。嫌なことをやるのが仕事だと教わったから、その通りに嫌な方向に進む。そうすると怒られて、わたしはアレーと思う。転職活動を進めるうちに嫌なことをしても全員が不幸だ、と言われ、結構戸惑った。

 

わたしが好きなことが何の利益になると言うのだろうか。たしかに好きに仕事をしていた時は幸福だった。そう言えるのは出版社にいた時だけだと思うけど。先輩が酷くネガキャンをして仕方なしに紹介されたわたしだったが、何故かめちゃくちゃに可愛がられるのは実直なわたしばかりなのだった。今とあまり変わらないんだけどね。それ以外の場所は、ずっと耐えていたような気がする。わたし以上に優遇される誰かを見ながら、どう振る舞えばいいのかわからなくてヤキモキする。行動しては怒られ、潰され、余計なことをするなと言われる中で、唯一の反抗が企画書を出したことだった。パソコン音楽クラブとCASIOトルコ温泉が見たかったから交通費支給のスタッフをやることにしたし、企画書が行けると思ったのはわたしが愛する音楽がこのままリリースされず消えていくことへの不満と、当時『アイフォーン・シックス・プラス』を出したばかりの長谷川白紙への信頼だった。面識もなんもなかったし、メールの態度とか終始イラついてたけど、この人の作る音楽を組み込むことと、わたしの好きなどうしても出したい曲を世に出すというエゴ。わたしはそれだけのために頑張ってた。のちに私をだいぶ揺るがす転機をもたらすのが、パソコンの柴田さんとこの時マジで苦手だった長谷川くんなので、人生は何が起こるか本当にわからない。わかったもんじゃないな。

 

そしてそれは、拙いものだけど、ちゃんと叶ってくれた。わたしの抵抗はその時だけ成功して、『エアにに』がクソヒットした時に当時のわたしの上司に2度も企画ボツにしたこと謝られました。長谷川のライブ会場で。あっ君島さんとかも出てたかなとりあえず彼がトリだった時に。まあわたしもこんなに跳ねるとは思ってなかったんですけどね。若干嫌いだったし。いまでは冗談で「ガキがよ」とか言ってるし、人生はわかりません。これさっきも言ったな。言いましたね。

 

それこそ人と親しくなる前、わたしがノリだけでポーンとあげた曲がなんか所属してない (←ここポイント) 大学のオーディションで軽音の先輩たちのgood music差し置いてファイナリストになり、ライブするはめになり、なんか元ソニーのプロデューサーついちゃってほええ!!!レコチョクと契約書結んでほええ!!!みたいになった辺りのわたしは下積みも何も無いのにホント頑張ってた。小学生に大学のミスコン出ろと言ってるようなもんですよほんとに。結局コロナで色々有耶無耶になって、だいぶ迷走したり、来るものをこなしたりして今に至るけど、わたしは変にヒットなどしなくて良かったと今は思う。

 

音楽ジャンルに抵抗して生きてきて、いまは多少覚えたけどやっぱりよくわからない現在、わたしの輪郭は。

 

ポップスがやりたい、と叫んでいる。一人でいいかもしれない。ひっそりと作品を作ろう。誰のためでもないものを作ろう。それは仕事にならないかもしれないし、酷評されるかもしれないけど、わたしというリスナーが待っているのだった。わたしはずっと一人だ。今までも、これからも。先人たちの知恵は借りるもので、何かになんてならなくてよくて、誰かに認められたり、許される必要もない。それは死だ。ひっそりと生きよう。己のポップを、わたしを凌駕する熱烈な炎を、それを愛と呼ぶのではないか。

 

そしてそれは、とっくに私が気づいてるものなんじゃないかな。美しさでも市場価値でもなくて、わたしがそこに存在してたからなんだってことに。